柳忠之のマンスリー・コラム 第16回 〜セーニャ20周年〜1999、2004、2008、2012年を利く〜
04/03
チリの「セーニャ」は、1995年にビーニャ・エラスリスとカリフォルニアのロバート・モンダヴィとのジョイントベンチャーとして誕生した、チリを代表するウルトラプレミアムワインです。今年はその初ヴィンテージから20年を数える節目の年に当たり、エラスリスの当主、エドゥアルド・チャドウィック氏が来日。業界関係者を集め、20周年を祝うイベントが開催されました。
チリのジョイントベンチャーといえば、コンチャ・イ・トロとボルドーのバロン・フィリップ・ド・ロッチルドがタッグを組んだアルマビーバがありますが、あちらの初ヴィンテージは96年。セーニャのほうがかろうじて1年早いことになります。モンダヴィとバロン・フィリップ、あのオーパス・ワンを生み出したカリフォルニアとボルドーの巨頭が、チリではそれぞれ異なるパートナーと手を組みプロジェクトを立ち上げたのも興味深い出来事でした。
ところが、2004年にロバート・モンダヴィ・ワイナリーはコンステレーション・ブランズに売却。それ以降、セーニャはエラスリスが単独で進めるプロジェクトになっています。
私は昨年、そのセーニャのブドウ畑を見てきました。オーパス・ワンがモンダヴィのカベルネ・ソーヴィニヨン・リザーヴに使われるブドウから造り始められたように、初期のセーニャにもエラスリスのドン・マキミアーノ・エステイトのブドウが使われていました。しかしながら、もともとこれは専用のブドウ畑ありきのプロジェクトで、エラスリスとモンダヴィは綿密な調査に基づき、海岸から40キロの距離にある丘陵地をブドウ畑とすることに決めていたのです。
この土地はドン・マキミアーノ・エステイトよりも海に近いため比較的冷涼で、崩石土壌の斜面は水はけがよく、エラスリスのフラッグシップとして知られるドン・マキミアーノ・ファウンダーズ・リザーヴとはまた異なるスタイルの、高品質な赤ワインが出来るポテンシャルを秘めていました。
ブドウの植え付けは99年から始まり、2005年に植樹が完了。42ヘクタールの畑には、カベルネ・ソーヴィニヨンをメインに、カルメネール、メルロー、カベルネ・フラン、プティ・ヴェルド、マルベック、そしてシラーが栽培されています。
私が訪問したのは5月でしたから、日本と季節が反対となるチリは晩秋です。日中は太陽の下にいるとまだ汗ばむくらいの陽気でしたが、日が沈み始めると急に気温が下がり、ジャケットなしでは凍えそうになりました。
驚いたのはカルメネールがまだ収穫されず、樹に残されていたこと。標高400メートル近い高地の区画のため、ただでさえ晩熟なカルメネールは、完熟に時間がかかるのでしょう。葉が赤くなってようやく熟すことから、深紅色を表すカーマイン(フランス語ではカルマン)が転じてカルメネール。葉っぱはまっかっかに染まっていました。
セーニャの畑の近くには、2012年に建てられたビオディナミセンターがあります。じつはセーニャ、05年からビオディナミ農法がとられていて、08年にはデメテールの認証を取得しています。このセンターではビオディナミに使われるプレパラシオン(調合剤)が500番から507番まで8種類、解説とともに展示されていました。
さて、前置きが長くなりましたが、イベントで供されたセーニャは1999年、2004年、2008年、2012年の4ヴィンテージ。ほぼ4年おきのヴァーティカルテイスティングです。
ヴァーティカルテイスティングというと若いヴィンテージから始めるのが通例ですが、今回、古いヴィンテージからスタートしたのはなんとも象徴的でした。セーニャの進化を時系列を追って見てもらいたかったのだと思います。
我が家には、「10年の熟成に耐えられないワインに1万円を出す価値はない」というモットーがあります。因みにセーニャを日本に輸入するアサヒビールの直販サイトでの価格は消費税込み1万2841円。果たして、セーニャは10年の熟成に耐えられるのでしょうか?
99年がグラスに注がれ、口に含んでみて驚きました。まだまだ若々しい。ただし、洗練という言葉からはやや遠い印象がありました。04年もパンチが効いてパワフル。もちろんワインとしては上等ですが、何かが足りない。じつは3番目に供された08年に、もっとも目を潤ませることとなったのです。いかにもマッチョな印象の04年に対し、08年からはまるでバレエダンサーのような優雅さが感じられます。とても緻密な構成で、シルキーなテクスチャーなんですね。
おそらくこれはブドウ畑が100パーセント、セーニャ専用畑となったことやビオディナミ農法に転換したことに加え、チーフワインメーカーであるフランシスコ・バエティグの働きも大きいと思います。03年からエラスリスで働く彼ですが、06年までは前任のエド・フラハーティがセーニャの醸造を監督していました。エドも素晴らしいワインメーカーでしたが、アメリカ人の性でしょうか、どうしてもパンチの効いたワインを目指していた傾向があります。それに対してフランシスコはフランスで醸造学を学び、奥さんもフランス人。現地で話をうかがった時も、こう話してくれました。
「90年代の後半から2000年代の初めまで、皆が抽出の濃いワインこそ優れたワインなのだと思い込んでいました。ブドウ畑の樹齢が上がるにつれ、よりテロワールへの理解が深まり、多様性やパーソナリティを尊重すべきだと私は気づいたのです。今はテロワールや品種ごとに最適な抽出を心がけ、エレガントなスタイルのワインを目指しています」
2012年も08年と同じラインを歩み、なおかつこの年は2010年に完成したアイコンワイン専用ワイナリーで醸造されていることから一層質の向上が見てとれるわけですが、いかんせんまだ若過ぎました。
とかく安さばかり強調されがちなチリワインですが、本気を出すと怖いくらい質の高いワインを造り出すのも、またチリなのです。
(text & photo by Tadayuki Yanagi)
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