ワイン&造り手の話

<伝統的なスタイルの継承>

ロワールのモン・ルイ出身だというダヴィッド・クロワ氏は、醸造学を修めるためにブルゴーニュへ。そして2001年の6月に終了し、翌2002年から「カミーユ・ジロー」で醸造責任者に就任することになりました。2005年からは、自らのドメーヌも興すことになり、順風満帆な人生を歩んでいるようです。

 

この好機は、スタジエ時代にありました。ポマールの「コント・アルマン」で、バンジャマン・ルルーのもとでワイン造りをしている時のことだったといいます。「コント・アルマン」は、モノポールの「プルミエ・クリュ・クロ・デ・ゼプノー」で知られる、コート・ド・ボーヌきっての赤ワインの造り手で、バンジャマンは若き天才と呼ばれていました。

 

ちょうど「カミーユ・ジルー」では、2000年から買い手を探していたのです。1865年に創立したこのネゴシアンは、90年代から3代目の時代に移っていました。ところが、兄弟のそりが合わないということで、売却を決意したようです。そこで、「カミーユ・ジロー」はじめ多くの品質の高いブルゴーニュをアメリカに紹介してきたベッキー・バッサーマン女史が、一役買いました。

ボトル横

「ナンバー・ナイン・エステート」はじめ、パーカー・ポイント100点の常連であるナパ・ヴァレーのブティック・ワイナリー「コルギン・セラーズ」のアン・コルギン、夫のジョー・ヴェンダーは、ブルゴーニュ・ワインの大ファンでもあります。彼らの率いる投資家グループが「カミーユ・ジルー」を購入することになりました。

 

では、誰が造るのか。さらにベッキー女史は情報収集したところ、「コント・アルマン」のバンジャマンが推薦してくれたのが、このダヴィッドだった、というわけです。現在36歳というダヴィッドは、当時若干22歳だったといいます。とても若くはありますが、ダヴィッドは守るべきメゾンのスタイルは守り抜き、かつての名声を取り戻したのです。

 

創業者のカミーユ・ジルーは、ブルゴーニュがフィロキセラ禍に苛まれた様子を目の当たりに見ていました。そこで、もし20世紀に再びフィロキセラが襲ってきたとしても、セラーに多くのストックがあれば、自分のメゾンは生き残れると考え、長期熟成型のワインを造ると心に決めたといいます。その伝統を受け継ぎ「今でも、1976年のワインはストックが豊かで販売できます。古いヴィンテージの在庫はほとんどが赤ワインですが、少しだけ白もあります。1971年のモンラッシェがほんの少しね」とダヴィッド。

 

長期熟成型のワインを造るにあたり、最も重要なのは質の高いブドウを得ることです。ネゴシアンではありますが、小規模生産で、合計6万本のみ。「特に、樹齢の古い区画に焦点をおいています。私にとっての古樹とは、樹齢45年から50年以上でしょうか。小粒で繊細なブドウが得られる畑のブドウがよいですね。栽培は、できれば有機栽培かビオディナミを採用しているところ」。現在、15人の栽培農家と契約しているといいます。

ニュイサンジョルジュ

続いてダヴィッドによる「カミーユ・ジルー」のワイン、その造りの方針を、ご紹介しす。

(輸入元:ベリー・ブラザーズ&ラッド日本支店)

(text & photo by Yasuko Nagoshi)

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