ワイン&造り手の話

今月から月一回、私、柳忠之が世界のワイン産地(といっても大半がフランスになるでしょうが)で知り合った人物を紹介いていきます。まず第1回は、ボルドーでワインを造っている日本人、篠原麗雄さん。

篠原さんと初めて出会ったのは、今から3年ほど前。東京のビストロ・ブノワでコート・ド・ボルドーAOCのプレスランチが開催された時でした。生産者の一群の中にひとり日本人の男性がおり、私はてっきり彼らをアテンドしている人だろうと思っていたのですが、「私もワインを造っているんです」と言われ、その時、あのクロ・レオのオーナー兼醸造家である篠原さんだとようやく理解しました。それ以来、なかなかお目にかかる機会がなかったのですが、今春、ボルドー取材の合間を縫って、やっとクロ・レオを訪問することができたのです。

クロ・レオのブドウ畑と醸造所、そして篠原さんの住いがあるのは、サンテミリオンのお隣、以前はコート・ド・カスティヨンと呼ばれていたカスティヨン・コート・ボルドーです。ブドウ畑の面積はわずか0.83ヘクタール。あのロマネ・コンティの半分もありません。斜面の上に立てば畑全体が見渡せる、ほんとうに小さな畑です。

さて、篠原さんはなぜワイン造りを始めることになったのか。宝塚出身の篠原さんは、もともと、関西を拠点とするワインの輸入元で働いていました。その輸入元が扱っているラインアップに、シャトー・ド・ヴァランドローがあります。ヴァランドローは90年代後半、突如彗星のようにして現れ、大きな話題をさらったシンデレラワインの元祖として有名ですね。このヴァランドローのオーナーがジャン・リュック・テュヌヴァン氏。プロモーションのために来日したテュヌヴァン氏と意気投合した篠原さんは、2000年に日本を離れ、テュヌヴァン氏の会社で働くことになります。テュヌヴァン氏はワインの生産者であるだけでなく、ワイン商でもあり、エタブリスマン・テュヌヴァンという会社も経営しています。

しかし、ワイン造りの現場で働くうち、篠原さんの関心はワインを売ることよりも、ワインを造ることに向かっていきました。そして、テュヌヴァン氏のすすめもあり、現在のクロ・レオの畑を手に入れたのです。サンテミリオンに隣接するカスティヨン・コート・ボルドーは、同じように石灰岩台地の土壌で、メルローの栽培に向いています。クロ・レオの畑もメルロー80%、カベルネ・フラン20%です。

「畑の斜面は一部北向きですが、じつはそのおかげでブドウが過熟せずに済みます」と篠原さん。とくに2000年代は暑い年が続いたので、この北向き斜面がワインにフレッシュさを与えてくれたであろうと、容易に理解できます。ブドウの手入れは篠原さんと奥様のキャホリンさんのふたりでしていますが、奥様も日本語ペラペラで、テュヌヴァン氏の会社に勤務しています。

畑も小さければ、セラーもこじんまり。伺った時は12年のワインがマロラクティック発酵の途中で、11年のワインが熟成中でした。数えてみると、12年のワインが詰められた樽は、225Lが8樽、350Lが2樽の計10樽しかありません。単純計算して29hl/haという低収量。それで驚いてはいけません。厳しかった今年の収量はさらに少なく、たったの10hl/ha。「そろそろ夜逃げしなくてはいけません」と、フェイスブックにコメントがありました(笑)。それも徹底した選果の結果なんですね。

熟成中の11年を試飲したところ、ブラックベリーやダークチェリーのふくよかな果実味とともに、カベルネ・フラン由来と思われるバックボーンが感じられ、折しもサンテミリオンの新しい格付けを取材中だったこともあってか、メモには「カスティヨンではなくサンテミリオンだったら、グラン・クリュ・クラッセに間違いなし」と書き留めていました。聞けば、ワイン造りはテュヌヴァン氏仕込み。実践で学んでいったというのも驚きです。

その後、篠原さんのお宅で夕飯をいただくことになり、ゲストで見えたのがテルトル・ロートブッフのミジャヴィルさんの娘さんとそのご主人。出始めのコート・ド・ブライ産ホワイトアスパラの後はラムのロースト。篠原さんに「何年にします? 好きなヴィンテージ言ってください」と言われましたが、そこはお任せにしました。すると出てきたのがなんと、初ヴィンテージの02年!

ボルドーに詳しい方ならご存知と思いますが、02年は今年ほどではないにしても難しいヴィンテージのひとつです。ところがこのクロ・レオの02年、いざ味わってみると、美しく熟成しつつも充実した果実味を失うことなく、艶も張りもあり、とても素晴らしい状態。「あの難しい年に、しかも初ヴィンテージでこれだけのワインを造ったんですか!?」とマジ顔で聞いてしまいました。ゲストのふたりも感心しきり。

少々手前味噌になりますが、ブルータス誌でヴァランドローを紹介し、「シンデレラワイン」と名付けたのはこの私。あの記事がなければヴァランドローの日本におけるブレークはなく(テュヌヴァン氏本人の弁)、おそらく日本に代理店が出来ることもなく、篠原さんがボルドーでワインを造ることはなかったかもしれません。なにか不思議な縁をクロ・レオには感じざるを得ず、今年リリースされた11年を皮切りに、今後は毎年、クロ・レオをコレクションしていこうと思っています。

(text & photos by Tadayuki Yanagi)クロ・レオと料理の組み合わせ例もあります。

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