ワイン&造り手の話

かれこれ2ヶ月前となる6月初旬、ボルドー地方のグラーヴに行って参りました。女性誌「ヴォーグ・ジャパン」の取材です。その記事は10月発売の号に掲載される予定ですが、女性誌には少々ハードすぎて、ネタ落ちしそうな内容をここに書くことにしましょう。ボルドー大学のドゥニ・デュブルデュー教授と、教授がグラーヴに所有するクロ・フロリデーヌの話です。

 

 

デュブルデュー教授は大学で教鞭をとると同時に、5つのシャトーを家族で所有し、世界各地のワイナリーでコンサルタントもされている、すご腕の醸造家です。その教授が82年に購入し、ゼロからスタートさせたシャトーがクロ・フロリデーヌです。

 

シャトーといってもオー・ブリオンのように立派な城館などなく、ステンレスタンクの備わる醸造棟とつましい東屋があるばかり。普段はより豪華なプルミエール・コート・ド・ボルドーのシャトー・レイノンでゲストを迎えるそうですが、今回はグラーヴ・ワイン委員会のオーガナイズなので、滅多に公開しないクロ・フロリデーヌでの取材となりました。ちなみにフロリデーヌという名前は、奥さんのフローランスと教授のファーストネームであるドゥニを合わせた造語なんですね。

 

クロ・フロリデーヌの面積は42ヘクタール。区画はふたつに分かれています。大部分はピュジョル・シュール・シロンという、貴腐ワインで有名なバルサックの隣村に位置し、土壌は石灰岩を底土にもつ砂質や粘土質です。もうひとつはその北のイラという村にあって、ここは200万年前、ガロンヌ川により運ばれてきた砂利が堆積しています。前者の区画では白ブドウやメルロが、後者の区画ではカベルネ・ソーヴィニヨンがおもに栽培されています。

 

クロ・フロリデーヌの畑。これはピュジョル・シュール・シロンの区画だが、比較的砂利が多い。

クロ・フロリデーヌの畑。これはピュジョル・シュール・シロンの区画だが、比較的砂利が多い。

 

この日、教授はクロ・フロデーヌの赤を4種類(12年、11年、10年、05年)、白を4種類(11年、10年、08年、01年)用意して、私たちを待ち構えていました。まず赤(カベルネ・ソーヴィニヨン70%、メルロ30%)の12年を注ぎながら「この年は春は雨が多かったけれど、夏は好天に恵まれました。秋はインディアンサマーで暑かったな」と言い、ワインをひと口すすると、「軽やかながら深みが感じられる。まるでモーツァルトのようなワインでしょう」と、ヴォーグの美人編集者を前に上機嫌です。

 

「このワインはタンニンがあるのに甘やかさもある。このパラドックスが上質な赤ワインのポイントなんですよ。タンニンが豊富でも収斂味がなく、甘やかさが感じられても糖分はゼロなんです」

 

11年は春にとても暑く、夏から秋にかけて涼しくなった年。教授は、「若いけれども、老人の若さです。だから、人の心を揺り動かすことができる」とニンマリ。

 

偉大なヴィンテージの10年はバラやボタンなどフローラルなアロマをもち、熟成した05年は甘草や杉の香りが現れました。「熟成が進むとさまざまな香りや味わいが渾然一体となります。でも、複雑さ(complexité)と煩雑さ(complication)は別のもの」と、デュブルデュー節は止まりません。

 

ワインは白に移ります。白はソーヴィニヨン・ブラン50%、セミヨン50%。すべて樽発酵ですが、3分の1の新樽はセミヨンにのみ宛てがわれます。

 

ここでひとつ思い出したことがありました。以前、東京でソーヴィニヨン・ブランについて教授をインタビューした時の話です。ソーヴィニヨン・ブランの醸造について教授は、「この品種に樽はあまり向かない。とくに新樽などもってのほか」と語り始めました。しかし、ボルドーでソーヴィニヨン・ブランの樽発酵、しかも新樽を用いての醸造を流行らせたのは教授自身です。恐れ多くもその点を指摘すると、「自分の過去の誤りを認めないのを、ほんとの愚か者という。賢こい者は臨機応変に己の誤りを正すものです」と開き直ってしまいました。さすがですね。

 

05年ヴィンテージから稼働を始めたクロ・フロリデーヌの醸造棟。

05年ヴィンテージから稼働を始めたクロ・フロリデーヌの醸造棟。

 

11年の白を口にした教授は「石灰質土壌由来のミネラルを感じる」とひと言。すると美人編集者が「ミネラルってどんな味ですか?」と尋ねました。予想外の質問だったのか、教授はちょっと困った表情をした後で、「ミネラルは味ではありません。感覚(sensation)です」と答えました。

 

「たとえばあなたが男性に、どうして私のことを愛してるのかと尋ねたとします。もしも彼がその理由を簡単に説明できたなら、本当にあなたを愛してるとは言えないでしょう。説明不可能なことにこそ、物事の本質が隠されています。ミネラルも愛と同じく説明困難なものなのです」。日本人にとって「旨味」の説明が難しいように、フランス人の専門家にとっても「ミネラル」は永遠のブラックボックスなのかもしれません。

 

すでに13年を経た01年の白は、香りこそ複雑さを帯びているものの、しっかりしたボディをもち、生き生きとした若々しささえ感じられるほど。なかなか熟成したボルドーの辛口白を飲む機会はないので、これはよい経験となりました。

 

ドゥブルデュー教授のワインはさすがに欠点のない優れものですが、教授自身はおちゃめで愛らしく、人間味のある人物。学校ではどのような授業をしているのか、多いに興味が湧きました。

(text & photo by Tadayuki Yanagi)

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