柳忠之のマンスリー・コラム 第17回 〜ロールス・ロイスでナイティンバー〜
05/11
今回は番外編というべきでしょうか、ワインに直接関係のある話ではありません。なんと、車の話題です!
それほど車に詳しくない方でも、ロールス・ロイスの名前は耳にしたことがあるでしょう。The Best Car in the World。世界最高の車ですね。
メルセデス・ベンツのSクラスや、BMWの7シリーズならば、汗水垂らして仕事に励めばいつかは自分だって……という気にもなりますが、ロールス・ロイスは地道にコツコツ仕事をしているだけで手に入る車ではありません。いや、そもそも、地道にコツコツ働く人が乗る車ではないでしょう。パルテノン神殿をモチーフにしたフロントグリル、その頂点で風を切るフライング・レディことスピリット・オヴ・エクスタシー。これらの意匠に似つかわしいのは、出自も正しき一部の人のみ。ところが……。
「柳さん、ロールス・ロイスに乗ってみませんか?」
ある日突然、そんなお誘いをいただきました。ロールス・ロイスに乗れる機会など、ペニンシュラホテルの宿泊券でも当たらない限りなさそうです。「ぜひ」とふたつ返事をしておきながら、当日はいったいどんな服装で乗ればよいのだろう……と、余計な心配をしてしまう小市民な私でありました。
ロールス・ロイスの広報車が泊められている某所の地下駐車場に着くと、そこには3台の車が厳かに佇んでおりました。ツードアクーペの「レイス」、フラッグシップの「ファントム」、そして今回試乗する「ゴースト」です。ゴーストはベイビー・ロールスのコンセプトで開発されたモデルですが、それとて全長5400ミリ、全幅1950ミリ、車重は2480キロもあります。さらにスターティングプライスが3000万円を超えると聞けば、やはり別世界の乗りものであることに変わりありません。
では、乗せていただきます……。ここで普通の車のように後輪の前あたりに体を寄せては、オーナーでないことがバレバレです。ロールス・ロイスの場合、パッセンジャーが立つべき位置はリアドアの前寄り。なぜなら、リアドアが後ヒンジで開くからです。つまりフロントドアとリアドアを同時に開けると、いわゆる観音開きになる構造。このほうが後席に乗り込むのが楽なことは言うまでもありません。
上質な革製のシートもさることながら、驚いたのはフロアカーペット。くるぶしまで沈み込むほどふかふかしています。ノブやスイッチなど、シルバークロームのパーツも格調高く、空調を調節するため前後に出したり引いたりするレバーもじつに上品。まるで漆塗りのように光沢のある内装パネルは、指紋が着くたび拭わずにいられません。
というわけで、そろそろ走り出します。ロールス・ロイスにはレイスのようなドライバーズカーもありますが、基本はショファードリヴン。つまり運転手付きの車です(と言っても価格に運転手の料金が含まれてるわけではありませんが)。オーナーがハンドルを握ることなく、後席でゆったりくつろぐのが正しい姿。だからこそ、お酒関係の私にもなんのコンプライアンス的な制約もなく、お声がかかったのです。運転はロールス・ロイス・モーター・カーズ広報の倉橋竜太さんがしてくださいます。
走り出してしばらくすると、運転席の倉橋さんからリアシート中央のバックレストにあたる部分を開けてみるよう指示されました。なんと、そこには小さいながらも冷蔵庫がビルトインされていて、ミネラルウォーターとスパークリングワインが納まっているではありませんか! 銘柄はナイティンバー・ブラン・ド・ブラン2007年。英国が誇る名車だけに、英国最高のスパークリングワインでおもてなしという、憎い演出です。さらにやや小振りながら、ロールス・ロイスのロゴがエッチングされたグラスと、それを固定するホルダーまで、いたれりつくせり。
久しぶりに味わうナイティンバーは、初めて味わった10年ほど前とうって変わり、とてもフレッシュで生き生きとしていました。以前はいかにも英国人好みの熟成感を全面的に押し出した風味で、それがいかにもあざとく、世間の評判とは裏腹に私の評価は決して高いものではなかったのです。しかし、この2007年のブラン・ド・ブランはフレッシュ感とミネラル感に加えて風味に奥行きがあり、とても素晴らしいスパークリングワインに仕上がっています。
おっと、今回の主役はロールス・ロイスでしたね。ここで皆さんにご報告すべきは、その乗り心地の素晴らしさ。私はモータージャーナリストではありませんし、普段は乗り心地とは無縁の車に乗ってることもあり、このゴーストの乗り心地を正しく表現する言葉を持ち合わせません。しかし、ひとつの事実をお伝えすれば、皆さんにもゴーストの乗り心地を理解していただけることでしょう。
首都高を降りて、一般道を走っていた時のことでした。比較的大きなギャップがありました。自分の車なら間違いなく、激しい突き上げをくらっていたに違いありません。それをまるで大型客船が高波をいなすかのごとく乗り越えたのも見事でしたが、ホルダーにセットされたグラスの中のナイティンバーが少しもこぼれなかっただけでなく、液面が揺れることすらなかったのです。「そんな馬鹿な」と思われるかもしれませんが、厳然たる事実。むしろグラスを手に持っていた時のほうが、液面が安定しないほどした。
さて、夢のような数時間を過ごし、白とシルバーのツートーンを纏ったロールス・ロイス・ゴーストは、都内某所に戻ってきました。
いやがおうにも目立つロールス・ロイス。交差点で信号待ちをしている人たちが、「いったい誰が降りて来るのだろう」と、車が止まった途端、一斉に視線を向けてきます。ここで「しまった!」と思いました。お誘いを受けた時には身だしなみに気をつけなければと考えていたのに、試乗の前に別件の取材が入っていたこともあって、いつものカジュアルな装いでゴーストに乗り込んでしまったのです。せめてサングラスでもあればそれらしく振る舞えたかもしれませんが、それすらございません。いかにも「乗せていただきました」の体で、ドアを支える倉橋さんに頭を下げながら降りる私でした。
あれから2週間が過ぎましたが、フロアカーペットの感触と、リアシートの乗り心地は、まるで極上のワインの余韻のように残っています。もしかすると、ワインやシャンパーニュを味わうのに最適な空間は、レストランのダイニングでもホテルのラウンジでもなく、ロールス・ロイスのリアシートなのかもしれません。
(text by Tadayuki Yanagi)
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